041【西郷従道】兄・西郷隆盛の影にいた、もう一人の薩摩男

西郷従道さいごう じゅうどう

あの西郷隆盛の弟である。

けれど彼の人生は、「弟」という言葉では語りきれない。

薩摩藩士として、維新の立役者として、そして明治政府の柱として。

彼は静かに、しかし確かに、日本を動かしていた。

兄とは違う形で――。

武士として生まれ、兄と共に立ち上がる

1843年、薩摩・鹿児島に生まれる。

西郷家の次男として、兄・隆盛に育てられるようにして成長。

少年時代から文武両道で、実直な性格だった。

やがて幕末、兄とともに薩摩藩の志士として活躍。

倒幕の動きが激しくなる中、従道もその渦中に身を置く。

ただし、常に兄の背中を見つめながら、自分の役目を探していた。

明治維新の立役者として、冷静な現実主義者

明治維新のあと、兄が下野する一方で、従道じゅうどうは政府に残る。

海軍卿、陸軍大臣、内務大臣などを歴任。

薩摩出身ながらも派閥に偏らず、政敵とも協調した。

兄・隆盛が西南戦争で命を散らす時、従道は政府側にいた。

苦しかったはずだ。だが、それでも彼は職責をまっとうした。

国家の未来を、兄とは違うやり方で支えようとしていた。

人柄は温厚、けれど妥協なき行政官

従道じゅうどうの性格は、豪胆だった兄とは正反対。

穏やかで柔和、それでいて筋の通らぬことには一歩も譲らない。

海軍の近代化では、イギリス式の徹底導入を進めた。

軍だけでなく、鉄道、教育、衛生など、広く国の仕組み作りに貢献。

そして何より、官僚の規律や責任を重んじた。

表には出ないが、まさに「屋台骨」としての働きだった。

最後まで兄を想い、兄を超えなかった男

従道じゅうどうが何よりも心に抱えていたのは、兄・隆盛の存在だった。

西南戦争のあとも、兄の名誉回復に力を尽くした。

晩年、元老として政界に影響を与えつつも、決して前面には出なかった。

その控えめな姿勢が、兄と比較されることも多かったが――

彼は、彼のやり方で、時代をつないでいた。

1902年、病に倒れ、静かにこの世を去る。

享年59。

まとめ:兄の光と共に歩んだ、もう一つの偉大

西郷従道さいごう じゅうどうは、兄・隆盛の影にいた。

けれど、その影はただの影ではなかった。

国を支え、制度を整え、人を守った。

乱世に剣を振るう者がいれば、治世には柱となる者が必要だった。

従道はまさに、その柱だった。

激しさではない。静かさと誠実で、明治という時代を作った男。

もう一人の、西郷。

その名は、歴史の静けさの中で今も息づいている。