
高杉雅。
幕末の志士・高杉晋作の妻として、知られる存在。
けれど彼女は、ただの「添え物」ではなかった。
夫が命を懸けて駆け抜けた時代、
その背中を、誰よりも静かに、強く見守っていた。
夫婦のかたち――それは、共に並ぶものではなかったかもしれない。
けれど、たしかに心は、共にあった。
長州藩士の娘として、静かに嫁いだ少女
雅は、長州藩の名家・井上家の娘として生まれる。
育ちは良家、教養にも恵まれた少女だった。
16歳で、高杉晋作と婚約。
晋作19歳。まだ、志士として名も上がらぬころの話。
やがて夫は、松下村塾に通い、吉田松陰に学び、海を渡る。
――そのとき、雅は家に残り、じっと夫の無事を祈っていた。
行動の人と、待つ人と
帰国した晋作は、次第に過激な行動に出るようになる。
藩政に反発し、倒幕を目指し、兵を率い、戦を起こす。
妻として、心休まる日はなかっただろう。
けれど、雅は夫を責めなかった。
晋作は奔放だった。
芸妓とも親しくなり、長く家にも帰らなかった。
それでも雅は、黙って夫を支えた。
「私は、あの人の妻です」
その誇りだけで、心を保っていた。
最期を見届けた、ただひとりの人
1867年。晋作、病に倒れる。
病床に寄り添ったのは、ほかでもない雅だった。
夫は、雅に「この病気は治らぬ」と伝える。
静かにうなずく彼女に、もう涙はなかった。
最後の時。
雅は、手を取り、声をかけ、ただ夫のそばにいた。
「よう頑張られましたね」
それが、夫を見送った言葉だった。
まとめ
雅は、夫の死後も、再婚せず、静かに暮らした。
名を売ることもなく、語ることもなく。
けれど、夫を支え、見送り、記憶を守ったのは、他でもない彼女だった。
高杉晋作という、燃えるような志士の影に。
雅という、しんと澄んだ水のような女性がいた。
それはきっと、幕末の、もうひとつの物語。
それが――高杉雅。