035【江川英龍】幕末の日本に、「近代」を導いた男

江川英龍えがわ ひでたつ

長崎でも、江戸でも、そして伊豆でも。

彼の名を、当時の多くの人々が知っていた。

鉄砲を教え、大砲をつくり、軍隊をつくった男。

でもそれだけではない。

彼の夢は、「民の暮らしを、守る」ことだった。

――それは、戦ではなく、平和を守るための力だった。

旗本の身でありながら、誰よりも民のために

1801年、伊豆韮山いずにらやまの代官所に生まれる。

代々、江戸幕府の「代官」という立場。

領民の暮らしを預かる、いわば“現場の行政マン”だった。

だが、英龍ひでたつはただの代官では終わらなかった。

西洋の知識に目を見開き、オランダ語を学び、長崎で蘭学を吸収。

そして、日本に足りないものを一つ一つ、形にしようとした。

その手でつくったのは、大砲や反射炉はんしゃろだけではない。

彼が真に求めたのは、「国を守る体制」だった。

日本初の「反射炉」、ここから近代が始まった

韮山にらやまに、自らの手で反射炉はんしゃろを築く。

これは鉄を溶かして大砲をつくる、近代的な炉。

江戸時代の日本には存在しなかったものだった。

英龍ひでたつは、知識だけでなく、実行する力を持っていた。

自ら設計し、資材を調達し、人を集めて、反射炉を完成させた。

ここから、日本の「ものづくり」が変わっていく。

そして彼は、軍事だけでなく、「教育」や「産業」にも手を広げる。

農業指導、種痘の普及、職業訓練――。

どれも、民のために必要なことだった。

「民を救え」――コレラが流行っても逃げなかった

江戸でコレラが猛威を振るったときも、英龍ひでたつは現地へ飛び込んだ。

逃げることも、隠れることもせず。

医者や町人と協力し、治療や予防法の普及に全力を尽くした。

「人の命を守ることが、国を守ることに通じる」

彼の行動が語っていた。

幕府の中にいて、幕府の殻を破ろうとしていた男。

それが江川英龍だった。

まとめ

江川英龍えがわ ひでたつが築いた反射炉はんしゃろは、のちの日本の工業の礎となった。

彼が訓練した兵は、明治の近代軍制の原型となった。

そして彼の「民を思う政治」は、今もなお評価され続けている。

名声を求めたわけではなかった。

ただ、未来の日本を見ていた。

誰よりも早く、誰よりも真剣に。

江戸の終わりに現れた、小さな巨人。

それが――江川英龍。