
前島密。
紙と人を結び、国と国をつないだ男。
道を走る馬の音ではなく、封筒が静かに国を変えた。
彼が日本に「手紙」という革命をもたらした。
だがその道は、誰も知らない地味で地道な道だった。
ゆえに、語られることは少ない。
けれど、郵便の仕組みは今も動き続けている。
この国のどこかで、前島密の夢がポストの中を旅している。
幕臣の子、学問の才
1835年、越後国(現在の新潟県)に生まれる。
生家は下級武士。決して裕福ではなかった。
だが、密は幼いころから学問に熱心だった。
18歳で江戸へ出て、蘭学、漢学、航海術などを学ぶ。
やがて幕府の海軍伝習所に入り、勝海舟にも学んだ。
西洋文明の力を体感し、日本に必要な「通信」を見抜く。
船も鉄道も大事だが、人をつなぐ仕組みがなければ国は動かない。
密は、まだ見ぬ未来を見ていた。
明治の夜明け、郵便制度をつくる
明治維新。
幕府が倒れ、新しい国づくりが始まる。
密はすぐに新政府に入り、提案する。
「全国に、郵便制度をつくりましょう」と。
反対は多かった。
そんな金がどこにある。
そんな仕組み、誰もやったことがない。
だが密は諦めなかった。
イギリスの制度を学び、自ら制度案を練り、試験運用を始めた。
そして1871年、日本初の「郵便制度」が正式にスタートする。
東京―大阪間に、郵便が走り始めた。
封筒に夢をのせて、人々の手元へ届く手紙。
人々は「前島密」という名前を知らずに、その恩恵を受け始める。
鉄道、電話、新聞――通信の全てに関わった男
密の活躍は郵便だけにとどまらない。
鉄道敷設の推進、新聞の制度整備、電話事業の導入にも関わる。
明治の「情報インフラ」のほとんどに、密の影がある。
それは表舞台の華やかさとは無縁の地道な仕事だった。
だが、情報が届き、声が通り、想いが伝わる。
その当たり前は、密の築いた土台の上にある。
彼は1881年に一度官職を辞し、のちに枢密顧問官として復帰。
生涯を通して、情報の「橋渡し」に尽力した。
まとめ
前島密は、けっして声高に語られる人物ではない。
けれど、その働きはすべての人の暮らしに届いている。
ポストに手紙を入れる。
それは、彼がつくった「しくみ」によって成り立っている。
どこかの誰かに届く想い。
その裏には、密の知恵と執念があった。
前島密。
静かに、しかし確かに日本をつないだ男。
彼の手紙は、まだ終わっていない。