
久坂玄瑞。
わずか20代で、幕末の表舞台に駆けあがった男。
師は吉田松陰。
友は高杉晋作。
そして、彼の志は――「攘夷」だった。
若さと純粋さを武器に、時代の風をまっすぐ受け止め、その命を惜しみもせずに燃やし尽くした。
松下村塾から羽ばたいた天才
1840年、長州・萩に生まれる。
幼いころから聡明で、医学を学んでいたが、やがて吉田松陰と出会い、運命が大きく変わる。
松陰は、彼の才を「自分の後継者」とまで称した。
松下村塾では、誰よりも早く行動し、誰よりも熱く語った。
学問に裏打ちされた情熱。
久坂は若くして、尊王攘夷の先頭を走りはじめる。
江戸、京都、そして倒幕へ
長州藩の志士として、江戸へ、京都へ。
各地の志士たちと連携をとりながら、倒幕・攘夷運動の中枢へと食い込んでいく。
時の将軍・徳川家茂にも直談判したほどの大胆さ。
そして同時に、時代の流れを読み誤らない冷静さも持っていた。
彼の言葉と行動は、志士たちの灯火となった。
禁門の変、運命の日
1864年。
朝廷から追い出された長州藩が、京都奪還に乗り出す。
それが「禁門の変」。
久坂は藩の中心人物として、出陣を決断。
彼自身、戦に反対だった。
だが、止められなかった。
戦況は悪化し、長州軍は敗走。
京都・蛤御門の戦火の中、彼は潔く、自刃した。
わずか25歳だった。
松陰の志を継いだ“松下村塾の魂”
松下村塾で学んだ者たちの中でも、
最も純粋に、まっすぐに、松陰の志を継いだのが久坂玄瑞だった。
その死は早すぎた。
けれど、彼の魂は後に続く者たちに引き継がれていった。
高杉晋作、伊藤博文、山県有朋――
彼らが目指した「新しい日本」の根っこには、
久坂の“燃えるような志”があった。
まとめ
久坂玄瑞は、若さゆえに急ぎ、若さゆえに強く、そして若さゆえに、散っていった。
けれど、その燃え方は、誰よりも鮮やかだった。
時代が必要とした“まっすぐな力”。
久坂玄瑞は、命と引き換えに、明治の夜明けを照らした。