017【岩倉具視】維新の表も裏も動かした、公家出身の“黒幕”

岩倉具視いわくら ともみ

きらびやかな貴族の出自しゅつじでありながら、革命の渦中に身を投じた男。

宮中の奥から、倒幕と維新を操った知略の人。

彼は刀も持たず、血を流すこともなかった。

だが、歴史はその言葉と策謀で大きく動かされた。

決して目立たぬ存在。

けれど、幕末から明治のすべてを「見通していた」男だった。

宮中育ちの“異端児”

1825年、京都に生まれる。

公家・堀河家の出。

のちに岩倉家を継ぐ。

幼いころから、聡明で気骨のある性格だった。

だが、決して「典型的な貴族」ではなかった。

礼儀や形式ばかりに縛られた宮廷社会に、どこか反発していた。

「このままでは日本が滅びる」

その思いが、彼の中に少しずつ膨らんでいく。

公家なのに、倒幕論者?

尊王攘夷そんのうじょういの嵐が吹き荒れる中、岩倉いわくらは大胆な立場をとる。

「天皇を中心に、新しい日本を作らねばならぬ」

そう考えた岩倉は、幕府ではなく、志士たちと手を組んだ。

薩摩、長州、土佐――地方の下級武士たちに、宮中から手を差し伸べたのだ。

この連携が、やがて「倒幕」へとつながっていく。

島流しからの復帰

岩倉いわくらの急進的な行動は、朝廷内部でも反発を生む。

ついに彼は失脚し、京都を追われる。

蟄居先ちっきょさきは、洛北らくほく・岩倉村。

この地で彼は政治活動から遠ざかり、野菜を育てながら数年を過ごす。

だが、静かな日々の中でも、彼の目は時代の動きを見ていた。

やがて再び呼び戻され、明治維新の「参謀」として復帰する。

維新の設計者として

1868年、明治維新が始まる。

岩倉いわくらは新政府の中枢に入り、「王政復古おうせいふっこ」や「五箇条の御誓文ごかじょうのごせいもん」などに深く関わる。

刀や軍ではなく、制度と法で国を変える。

彼はまさに「設計者」としての役割を果たしていく。

表立って戦ったのは西郷や木戸だったが、

その背後には、岩倉の知恵があった。

岩倉使節団、世界を知る旅へ

1871年、岩倉いわは政府の特命全権大使として、欧米へ渡る。

有名な「岩倉使節団」。

新しい日本が、どんな国を目指すべきか――

その答えを、自分の目で確かめる旅だった。

訪れた先々で、近代国家の姿を目の当たりにし、

日本が学ぶべきこと、捨てるべきことを持ち帰った。

晩年と、静かな最期

帰国後は太政大臣として政府を支えるが、次第に実権からは退いていく。

維新のあとの混乱、そして政府内の対立。

岩倉は争いを避け、裏から調整する役割に徹した。

1883年、病により死去。

享年58。

静かに、しかし確実に、この国の形をつくった男だった。

まとめ

岩倉具視いわくらともみは、剣も振るわず、声を荒げることもなかった。

けれど、その発言一つで政が動き、歴史が揺れた。

表に立つ英雄ではなく、すべてを動かす「黒幕」。

冷静で、緻密で、そしてなにより「未来」を見ていた。

彼がいなければ、明治維新はあっても、ここまで制度化されたものにはならなかっただろう。

岩倉具視。

それは、時代の裏に咲いた、見事な知恵の花だった。