
「最強の武将は誰だ?」と聞かれたとき、必ずと言っていいほど名前が挙がるのが――
立花宗茂!
武力も人望もトップクラス、そして何より“カムバック劇”がドラマみたいに感動的な人物なんです。
今回は、知る人ぞ知る戦国のイケメン武将、宗茂の激動の人生をゆるポップにご紹介します!
英才教育と最強の家系
宗茂は1567年、筑後国(現在の福岡県)に生まれました。
父は高橋紹運、そして養父は「西国無双」の異名を持つ立花道雪!
そう、ガチ強武将の血と教育をダブルで受け継いだサラブレッドなんです。
特に道雪は、自らの娘(誾千代)と宗茂を結婚させ、家督を託します。
つまり、「実力もあるし、信頼もしてる!」ということ。
若くして立花家の当主となった宗茂は、その名に恥じない快進撃を見せていきます。
戦場での大活躍!まさに無双モード
宗茂のすごさは、なんといってもその戦の強さと統率力!
豊臣秀吉の九州征伐ではいち早く降伏し、逆に信頼を勝ち取って仕官。
その後は朝鮮出兵にも参戦し、日本軍の中でもトップクラスの活躍を見せます。
武勇に加えて、敵にも優しく部下にも情け深い。
「忠義・誠実・冷静・強い」――この四拍子が揃ってたら、そりゃあみんな憧れるよね…!
さらに、そのイケメンぶりでも有名。
「武士の鑑」とまで呼ばれた姿は、まるで戦国の王子様。
関ヶ原での失脚、そして伝説の復帰!
そんな完璧武将・宗茂にも試練のときが訪れます。
そう――関ヶ原の戦い(1600年)です。
宗茂は西軍(石田三成側)についたため、戦後に所領を没収されて浪人生活へ…。
一夜にして大名からただの人に。でも、ここからが宗茂のすごさ!
家康にも評価されていた宗茂は、浪人中もその品位と誠実さを貫き通し、ついに1610年――
旧領・柳川に“復帰”を果たすのです!!
これは当時としては超異例の出来事。
「失脚しても戻ってこれる」なんて、まさに逆転劇のヒーロー!
おわりに
立花宗茂は、ただ強いだけじゃない。
誠実さ、義理堅さ、部下への思いやり――そうした“人としての強さ”があったからこそ、愛された武将です。
武将たちが己の欲や野望に走る中、宗茂は最後まで「人としてどうあるか」を大切にしました。
その姿勢は、時代を超えて今も響きます。
あなたが困難にぶつかったとき、ふと彼の名を思い出してみてください。
“あきらめなければ、道はひらける”――
宗茂がそう教えてくれている気がします。