「正しさ」のために命をかける。それが、真に志ある人の姿。
こんにちは!今回は、ちょっと重みのある論語の一節をご紹介します。現代でも「信念を貫くとは何か?」を考えさせられる一言です。
「志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し」
(しし じんじん は、せい をもとめて もって じん をそこなうこと なし)
意味をやさしく言いかえると?
この言葉をわかりやすく訳すと、こうなります。
「志を持つ人や、仁(思いやり・道徳心)を重んじる人は、命を惜しんでその“仁”を損なうようなことはしない」
つまり、**「自分が正しいと思うことのためなら、命をかけても守り抜く」**という生き方を表しています。
たとえ話で考えてみよう
たとえばある会社で、不正が行われていたとします。
若手の社員がそのことに気づき、上司に報告しようと悩んでいました。でも、もし告発すれば自分が会社にいられなくなるかもしれない。出世もできないかもしれない。
そんなとき、心ある先輩が彼に言いました。
「正しいことを黙って見過ごすのは、自分を裏切ることになる。誰かが勇気を出さないと、何も変わらない」
――この若者が覚悟を決めて声を上げたとき、たとえそれがリスクを伴う選択だったとしても、「仁」を貫いたことになるのです。
この言葉が生まれた背景
孔子が生きた春秋時代は、戦乱や腐敗が蔓延する不安定な時代。多くの人が「自分だけが生き延びればいい」と考えるような世の中でした。
そんな中で、孔子は「人として大切なのは、ただ生きることではなく、“どう生きるか”だ」と説きました。
命よりも大切なものがある。
それが“仁”であり、人としての誠実さ、優しさ、正しさである。
これがこの言葉に込められた孔子のメッセージです。
現代にどう活かす?
もちろん、現代では命をかけるような場面は多くありません。でも、この言葉は今でもこう問いかけてきます。
-
自分の信念を貫けていますか?
-
「誰かのために正しくあろう」とする勇気はありますか?
-
危険を避けて、自分の心を犠牲にしていませんか?
「正しいとわかっていながら、黙ってしまう」
そんなときに、この言葉を思い出してみてください。
おわりに
「志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し」。
生き延びることがすべてじゃない。
自分の“仁”を守ることが、本当に“生きる”ということなんだ。
そんな重くもまっすぐなこの一言が、
私たちの行動や選択の中に、少しずつでも反映されるといいですね。