
こんにちは!
今日は、論語ではありませんが、
「士は己れを知る者の為に死す」
について、わかりやすく紹介します!
「本当に自分を理解してくれる人のためなら、命も惜しまない」——そんな意味を持つ言葉ですが、なぜこんな言葉が生まれたのでしょうか?
また、私たちの生活にはどう関係があるのでしょう?
たとえ話も交えて解説していきます!
ことばの起源
この言葉は『史記』という歴史書に記されている話が元になっています。
春秋時代の武将、豫譲 という男がいました。
彼は才能がありながらも、なかなか世間に認められず苦しんでいました。
そんな彼を見いだしたのが、知伯という主君でした。
豫譲は知伯に忠誠を誓い、一生懸命仕えました。しかし、あるとき知伯は敵に討たれてしまいます。
豫譲は深く悲しみ、「自分を認めてくれた知伯のために、仇を討つ!」と誓います。
そして、知伯を倒した武将・趙襄子を狙うのですが、何度も失敗し、最後には捕まってしまいました。
趙襄子は言いました。
「もうお前には仕える主君はいないのだから、ここで生きてはどうだ?」
しかし、豫譲は答えました。
「士は己を知る者の為に死す——私を本当に理解してくれた知伯のために、私は命を懸けるのです」
そう言って、自ら命を絶ったのです。
この話がもとになり、「士は己を知る者の為に死す」という言葉が生まれました。
たとえ話
さて、「命を懸ける」なんて、現代ではなかなか考えにくい話ですよね。
でも、この言葉は今の私たちの人間関係にも当てはまります。
たとえば、会社の上司と部下の話 を考えてみましょう。
Aさんは、どの上司にも評価されず、ただの「歯車」のように扱われていました。
しかし、新しい上司Bさんは、Aさんの努力をしっかり見てくれました。
そして、「君の仕事は素晴らしい!もっと挑戦してみては?」と応援してくれたのです。
Aさんは、「この人のためなら全力で頑張ろう!」と思い、仕事に打ち込むようになりました。
これはまさに「士は己を知る者の為に死す」の現代版。
「本当に自分を理解し、大切にしてくれる人のためなら、どこまでも頑張れる!」
という気持ちは、今も昔も変わらないのです。
まとめ
「士は己を知る者の為に死す」とは、
「自分を本当に理解してくれる人のためにこそ、人は全力を尽くす」
という意味の言葉です。
これは「命を懸ける」という話にとどまらず、私たちが誰と一緒に働き、どんな人と関わるかを考えるうえで、とても大事な考え方です。
もし、あなたの周りに「この人は自分を理解してくれる!」と思う人がいたら、その人を大切にしてください。
そして、逆に誰かの「己を知る者」になれるように、相手を理解しようとすることも大事ですね。
それでは、また次の論語の話でお会いしましょう!